2025年11月18日 脱穀祭
11月18日に「脱穀祭」というイベントを開催させていただき、収穫祭でハザ掛けを行い、乾かした稲穂たちを脱穀する日として、御神田に脱穀機を運び準備を整えた。
しかし、いざ動かそうとすると全く動かない。うんともすんとも言わない状態が続き、先週に続いて2週連続の脱穀機トラブル。さらにコンバインのベルトも切れており、機械による脱穀は一切できない状況に導かれる。
これもまた新たなお導きであり、宇宙が「素手で脱穀をしなさい」と言わんばかりの流れ。
参加してくださった皆様と一緒に、原始的な手作業で脱穀を進めるという、今までにない体験の脱穀祭となったのだ。
採りたての稲藁を束ね、粉々にして煎じ、稲藁茶を作り味わうという時間も生まれ、ハプニングの中から新たなミッションが現れ、そのミッションの中でどうベストを尽くしていくのか、人生では常に試されている。
今回の脱穀祭もまさにその象徴であった。

素手で脱穀
素手で脱穀するという体験は、米一粒一粒への感謝や味わい深さを、身体を通して教えてくれる。
昔の時代、人々はこうして丁寧に米粒を取り、稲穂と向き合い、感謝を重ねてきたのだろう。その体験を現代に再現できたことは、学びであり宝である。
参加者の皆さんが楽しそうに手で脱穀している姿を見ていると、こちらまで嬉しくなり、人生とは、さまざまな出来事の中から何を選択し、どう歩むかで決まるもの。
出来事から学び、多くの体験から自分を深めていく旅なのだと改めて感じる。
稲藁を煎じて飲むことで、甘みが増し、試飲会という形で稲の「親」をまずいただく。
親をいただくからこそ、子である新米をより深く味わえる。
これからのイベントでも「稲藁を飲んでから新米をいただく」という新しいプロセスが生まれるのかもしれない。
さらに今回、左手を火傷して袋詰めを手伝えなくなった方の出来事も、まるで「今日は袋詰めではなく脱穀をしなさい」と示されているようで、すべてが導かれたように一つの方向へと流れていった。
宇宙は優しく道を示し、起きる出来事は常に必要なタイミングで訪れ、抗わず、その流れに従いながらベストを尽くすこと。
それこそが自然と共に生きるということであり、人生の学びなのだと強く思う。

人生の中でまた新しい出来事がやってきて、そこから新しい発見が生まれ、地球を味わい、稲作と共に歩み、日々進化していく。
それが今、ここを生きるということであり、魂の目覚めを促してくれる道である。
すべてのお米たちの脱穀が完了したあと、「冬眠密着法」によりお米たちを冬眠させる工程へと移行していく。
仲間たちとみかんやおむすび、ふかし芋、クロモジ茶を味わいながら、温かいお茶会を開くことができたことも、豊かな時間であり、仲間が駆けつけてくれ、脱穀までのすべてのミッションを完遂できたことに、ただ感謝が湧き上がる。
脱穀したお米を「もみすり」するのか、あるいは来年の種もみとして保管するのか、これから考えていき、天日干しをしたお米たちをどう生かすかを思案しながら、この冬のミッションとして歩み、長い年月の新しい挑戦を始めていく。
いかに効率よく、簡易に自宅で籾すりができるのか。もしそれが確立できれば、保存は籾のまま行う方が間違いなく良い。
冬眠包装をしていて思うのが、籾の状態での呼吸レベルが玄米と比べて、比べ物にならないくらいすごいため、ここにもまた新たなミッションとして対応していく。
今回の脱穀に関して、二週連続で脱穀機が動かないというハプニング、さらにはコンバインのベルトが切れるという出来事もあった。しかし、それらを乗り越え、ちょうど11月17日「いい稲(1117)」の日に脱穀ができたことは、語呂合わせの域を超えた宇宙の導きそのものである。
まるで「この日に脱穀せよ」と言われているかのような完璧なタイミング。稲作を通して人生を堪能し、地球とともに生きることを体現していけという、大いなる合図でもある。
農業をしているからこそ、季節の移り変わりや地球の変化を濃密に体験できる。農業から得られる学びは、人という肉体を持って生まれた哺乳動物の醍醐味を、体験を通して深く味わわせてくれる。
そして蟹座・サソリ座・魚座の25度の美しいトライアングルが形成されている配置は、まるで「人生のろ過装置」のように自分を浄化し、新しい自分へと生まれ変わっていくプロセスが進行していることを示す日であったのだ。
全ての導きに感謝





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