草取りから学ぶ人生の教訓
永遠とも思える修行
気付いたら早起きの日課が染みつき、5時に起床する。
新月だった影響もありここ数日は良く寝ていたが、今日からまた何か変わったように、朝5時には目が覚めて、動き出す。
ここ数日の草の根運動で肉体的なハードワークが続いたため、今日は体を休める日にするつもりでいたが、5時の起床は予想外だ。
朝のルーティンワークを終えてもまだ8時という、早起きは三文の徳というがまさしく「徳」を感じる日となる。
いつもならもう昼前で、ランチをどこへいこうか、などを考える時間帯にあるのだが、まだまだ今日は始まったばかりで時間に余裕があるため、名古屋といえばモーニング。
久しぶりにモーニングを体感するべく、名古屋で良さげなモーニングを展開する喫茶店をピックアップして、高級マダムたちが住むエリア「白壁」に求めていたモーニングを発見する。
コーヒーを注文すると、おむすび二つとサラダ、茶碗蒸しが付いてくる素晴らしいおもてなしの喫茶店である。
モーニングといえば基本的には、トーストとゆで卵をイメージするが、ここ「花ごよみ」というおしゃれな喫茶店は、和食を提供する数少ないモーニングのお店だ。
本能のままにモーニングのため白壁へ向かうが、その行き道で更に面白い運のよい出来事が起こる。
なんとフロントガラスの中央にでかでかと鳥の糞が落ちるのだ。
この奇跡的な出来事を運が良いと呼ばずして何というのか。
魂の向くままに動き出したからこそ、何かを教えてくる「鳥の運(糞)」である。
精神修行の始まり
生きていると様々な出来事があり、7月にはいり完全に精神修行の期間が到来した。
起きる現象に対して一つ一つ向き合うしかできない状況だ。
何が起きてもおかしくない人生であるが、これほど予想ができない状況もなかなか珍しい。
だからこそ自分の人生、何をやりたいのか、何を成していきたいのか。
真摯に自己と向き合う時間を創る。
お金があるとかないとか、人生の善し悪しには関係ない。
あった方がそれはそれでやることが増えるから、あるに越したことはないのもちろんである。
しかしお金がないなら、ないなりにやれることがある。
それをこの人生で体現してくのが一つのミッションでもある。
最近一日約7時間くらいは田んぼで草取りをしており、その最中は常に向き合う精神の時の部屋だ。
時間の経過とともに心身ともに追い込まれてくる。
すると自分が「何のためにこの草取りをしているのか、自分の人生はどのように生きていくのベストなのか」など走馬灯のように脳内物質が駆け巡る。
とにかく自問自答をし続けることで、土や水など自然と触れ合うことで、何か答えを導いてくれる。
自然が教えてくれるのだ
本当に有難い
人生とは因果応報
全てが繋がっており、その一つ一つに意味付けして我々は生きている。
だからこそ「物事をどう捉えてどう認識するか」が重要であると、ここ最近強く感じる部分である。
草取りから学んだこと
まずこの草取りとは、読んで字の如く田んぼの中の苗と苗の間に生えている雑草を取る作業だ。
この作業はとても地味な作業で、一つ一つの草たちが自分の好きなように生えているのを足で踏んだり、手で取ったり、土に根を張る箇所を水面に浮かすのだ。
田植えを終えた2週間後くらいから始まる草取りは、最初の内は根が張っていない草なため、軽く踏めば水面に浮いてくる。
段々夏になるにつれて、気温が上がるため水温も自然と上がってくる。
すると水温が上がると、雑草たちも元気さを増してきて根張りが良くなり、より強く田んぼ内に居座り始めるのだ。
夏の草取り作業は7-10日に一回は行う必要があるため、雑草たちが強く根張りを始めると、苗たちの栄養も吸い上げていくため、苗の成長のために欠かせない夏の期間の草取り運動は、地味だが稲作にとって重要な作業である。
通称草の根運動は、別名「己と向き合う精神修行」と呼んでいる。
苗と苗の間をひたすら歩き、中腰になりながら草を取り続ける。
だいたい1反(約300坪)を取り終えるのに約15時間くらいだから、1反を終えるのに二日はかかると考えてくれたらよい。
ちなみに今年の作付面積は3.5反(約1000坪)を行っているので、約15時間の3倍である。
それを約一週間に一回のペースでやるため、草を取ってもまた来週には取らないといけないが、今と向き合って草取りをする。
中腰になって草を取っていると、まるで永遠にこの作業が続くのでは?と錯覚を起こして、自分はいったい何をしているのか、いったい何のためにこの作業をしているのか、この作業に意味があるのか、など様々なことを走馬灯のように考え出して、キリがないと感じてしまう。
田んぼの範囲が決まっているのだからキリはあるのだが、永遠と続く作業をしていると、わからなくなってくる。
例えるなら、ひたすらまっすぐの一本道を車で走っていると、まるで走っているのか、どんなスピードなのかすらもわからない錯覚を起こしだす。
それと同じように、永遠のループに入り始めるのがこの草取り作業である。
一歩ずつ草取りをしているため、必ず一歩分ゴールへ近づいているからこそ、一歩ごとに目標に近づく。
一歩づつゴールへと近づいているのだが、そのゴールは遠くて永遠とも思えるその先にある。
現代のテクノロジーがまだなかった明治時代より前に稲作をしていた日本人は、全て手作業でやっていたことを考えると、昔の人たちはいかに強靭なフィジカルとメンタルを持っていたと、田起こし以外を全て手作業で行った2023年の稲作を経験して身をもって感じさせてくれたのだ。
「己と向き合う精神修行」とは
中腰になり苗と苗をすり抜けながらひたすら草を取り続けることであり、
草を取り続ける間は、時間の経過とともに身体がへとへとになって体力的にもキツイが何よりも永遠に続くのではないかと、精神的にかなり追い込まれる。
何が追い込まれるかというと、単純作業でもかけた時間だけお金などの何かの対価があれば、人はまだ精神的支えがある。
しかし一年目の米作りには、そのような対価はなく、すべてが初めてであるので、何を対価にすれば良いのか、見当もつかないのである。
(最終的に辿り着いた境地として、「対価を求めて何かを行うことすらも本質的でない」と気付くのは、まだ先のことである)
合わせて、無肥料無農薬の完全な自然農法であるからこそ、実際どうなるかわからない。
まして、この草取り一回が、収量にどれだけ影響してくるのかなど全くの未知数だ。
その未知数の世界を永遠に走り続けるメンタルを保つのは、なかなかの修行であると感じる。
そのため肉体的にも精神的にも追い込まれるからこそ、とにかく様々なことを考える。
どうしたら草が生えづらい田んぼになるのか
雑草たちはなぜ生えてくるのか
田んぼ毎に生える雑草が違うのはなぜか
雑草ごとの生態系を学び、どう対応すれば生えづらい田んぼへと変化させられるのか
雑草が生えてる範囲を稲たちにデメリットにならない別の草を生えるように促したらどうなのか
など来季の草取り対策を否が応でも考えてしまう。
人間は楽をしようする生き物である。
だからこそ効率的により多い収量を摂れる米を育てるにはどうすればよいのか。
自然と脳裏をよぎるのだ。
これは自然農法を行う農家さんは、みんな少なからず思っている事柄だと考える。
各農家さんによって雑草対策は様々であるが、その田んぼにあった雑草対策を考えてトライして、反省して、また次に活かしてを繰り返してるのだと、多くの農家さんとの対話や文献の中から学ばせて頂いた。
田んぼ毎に違う雑草の種類や食物連鎖の中から、独自の農法を見つけ出す新しいミッションができたのも、この草取りから教えられたのだ。
農業は毎年気候も天候も土の状況も違うため、その田んぼにあったその年のベストを見つけ出していく、まさに宝探しと同じである。
さらに一年目の草取りは、未知数の世界を永遠に走り続ける作業であり精神修行である、と伝えたが修行時に自然が大きな気付きを教えてくれたのも事実である。
永遠ともいえる作業をしているとどうしても「これくらいでいっか、まぁこのくらいはいっか」など妥協しようとする自分が現れる。
その際こそ自分と向き合う一つの試練だ。
目標を持つこと
誰も見てないしここを妥協したところで誰もわからない。
わかるのは自分のみ
自分のみわかる出来事を、果たして自分に対して妥協しても良いものなのか。
終わりなき作業を続けるメンタルを保つために、とても重要だと感じたのは、「目標」を持つこと
目標設定も手前のゴールではなく、先の未来に向けての目標を持つことだ。
例えば、手前の目標だと「田んぼの草取りを終えること」に設定をして、草取りを始めても最初の内はそれで良いかもしれないが段々と、草取りに対して意志が弱くなっていくの感じる。
それでは永遠とも思える作業を強い信念を持って、草取りを進めていく活力にはならない。
ここでいう目標とは、無事に稲穂を付けて収穫を終えた後の情景や収穫した炊き立ての美味しいご飯を食べる、更には独自の自然農法を確立して、日本の食糧危機に対して農業革命の一端を担うなど、より自分の内側の魂から「やりたい、成したい」と思える目標を設定することだ。
自分がやりたいと決めた目標に対して、小さくても一歩づつ進んでいることを感じれば、やりたいことをしている過程にあると気付き、その行動は「やりたいことの一環」だと学びや気付きを教えてくれる。
まさしく「人はやりたいことしかやっていない」という教訓をこの草取りから深く教えてもらった一つでもある。
この目標設定は、人生にも大きく力を発揮する。
人生の指針となる目標を設定することで、自分の進む道がはっきりしてくるのだ。
草取りという「精神修行」から多くの学びと気付きがある、ここ数週間である。
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