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2024年11月23日 新嘗祭

11月23日 新嘗祭

神様へ感謝の奉納

今季2024年の新嘗祭も米俵を作り、不二阿祖山大神宮の新嘗祭に奉納させて頂いた。

〇去年2023年は、一つの米俵と30㎏の種籾を奉納

〇今季2024年は、二つの米俵と60kgの種籾を奉納

無事に一年の締め括り神事であり、今季も奉納させて頂けたことを改めて深く感謝している。

一年の稲作行事の最後を飾り、今季の稲作を締めくくる「新嘗祭」

かつて新嘗祭は、日本の祝祭日であり、国家繁栄や国民の安泰を願い、日本各地で執り行われていた。生きとし生けるものとして、米に感謝し、天に感謝し、そして先祖に感謝する。地球に住む私たちが生きて生活できているに感謝を捧げ、神様や先祖への感謝奉納を経て、「新米」をいただくというのが日本古来の稲作文化である。

日本古来から続く伝統文化からも感じられるのは、万物に神が宿り、自然とともに生きているからこそ、天に感謝の念が自然と湧きあがるということ。その感謝の気持ちは、生活の形として反映され、日々の暮らしに大きな影響を及ぼしてきた。ゆえに、日本の民、日の元の国の民は、調和を重んじ、自然を受け入れ、心豊かに、「たいらけくやすらけく」日々を過ごしていた。

縄文時代が、一万五千年続いた背景にも自然への敬意が影響していると考える。争いがなく、豊かで心が平和であり、皆が助け合い、支え合い、地球と共に生きてきた。その「大和」の精神は我々のDNAにもしっかり刻まれている。

しかし現代を顧みるとどうであろうか。

現代人たちには、神様や先祖への感謝の奉納である新嘗祭新嘗祭後に初めて新米を頂く日本の文化は、忘れ去られてしまっており、今への意識も遠のいているとも感じる。その背景に、命を創る「食」である米や野菜を作ることから離れてしまったことからも、食べ物への関心や日本の文化からも自ずと距離が出てきており、今の意識や自分の意識から離れているのだとも考える。


大局的に見れば、自然から離れた生活スタイルや日々の取り組み、また心の在り方も調和や思いやりから遠のいてるようにも思える。今一度、原点(地球と共にある)に立ち戻るべき時だ。

これからの時代は、風の時代と呼ばれる冥王星が水瓶座に入ることで、「物質主義から精神主義」への移行が本格化する時期に突入している。新たな時代の流れの中で、より一層自然と共に生き、地球と共に歩み、そして自己に目覚め、自分の魂が望む道を進むこと。

それこそが真の姿であり、大和魂の在り方である。

だからこそ、「今」生きられていることに感謝して、獲れた米たちをまず、先祖や神々様に感謝を捧げるのだ。
「今ここ」に自分が存在するのは、すべてを受け継いできてくださった方々のおかげであり、生きとし生けるものすべてに神が宿り、その一つ一つを尊重し、敬い、調和する心こそが「大和の心」である。これからの時代を生き抜くために最も重要な想いが詰まった新嘗祭であった。

新嘗祭に集まった方々の愛にあふれ、互いに持てる力で支え合い、「地球にとっての最善の選択とは何か」を問い続ける。その最善の選択こそ「今、自分たちはどう生きるのか」問われているのである。

新嘗祭の式典の際に大宮司様からご教授いただいた言葉にもあったように、「今の自分に立ち戻り、その今にしっかりと意識を向け、一歩でも二歩でも前進する姿勢こそが、神々様や自らの魂が望むことである」というお言葉が胸に響いた。

また、「今この瞬間にどれだけ有り難いことなのか、思いを馳せることが大切であり、大和魂とは生き方である」とも仰っており、

式典では、参加者に一口のおむすびと具だくさんの味噌汁が振る舞われ、個人的にみそ汁は3杯も頂き、愛溢れる式典を過ごさせて頂いた。

ちなみに、23日の快晴の早朝に雪化粧した美しい富士山を目の当たりにし、清々しい一日の始まりを迎えたのも、記憶に残る格別な贈り物だ。

八紘一宇

風の時代の始まりとともに、多くの導きへ感謝が絶え間ない、様々なパラレルへの移行旅であり、宇宙の根源「八紘一宇」すなわち自身の原点とつながる旅であったと考える。そして、出会ったすべての人々が愛にあふれており、争いのない心の平和と安らぎを持つ心清らかな人々だ。

「たいらけくやすらけく」方々と出会い、語らい、時間を共有できたことに感謝する。

新嘗祭に参列できたことを心より嬉しく思い、今季の収穫と奉納させて頂けたこと、本当に感謝の念に堪えない一日である。

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