
2025年6月21日 御田植祭
2025年「御田植祭」開催のご報告
2025年の「御田植祭」を無事に迎えることができましたこと、心より感謝を申し上げます。
本日に至るまでの準備、そして携わってくださった多くの方々の支えがあったからこそ、この式典を滞りなく執り行うことができたのである。
本番では全国各地から約80名以上の方々が参集してくださり、北は神奈川や千葉、南は奈良まで、遠方からも東郷町に足を運んでくださり、長野県からのご参加や、高校時代の友人が千葉から駆けつけてくれるなど、一人ひとりの労力と時間を注いでいただいたことに、感謝の念に堪えない。
快晴のもと、一年で最も太陽のエネルギーが極大となる「夏至」の時を迎え、ちょうど夏至点のタイミングで「御田植えの儀」を執り行った。このシンクロニシティを可能にしてくださった太陽神をはじめ、多くの神々様、支えてくださった皆様に、あらためて深い感謝を捧げる。
偶然のようでいて必然ともいえる奇跡によって幕を開けた「御田植祭」であった。

大地と稲との結婚式
稲作における田植えとは、大地と稲との結婚式であり、土・水・太陽という三位一体の自然の力が結ばれることで生命が育まれる。
その場において、裸足で田んぼに入り泥の感触を楽しむ子どもたち、初めて田植えに挑む者、田んぼに初めて足を踏み入れる者、田んぼと共にそれぞれが笑顔あふれる姿は、まさに時代の転換期を象徴する風景であった。
そこには懐かしさと同時に、未来への可能性が映し出されていた。
今季から新たに始まった「けんちん汁」の振る舞い、そして羽釜で炊いた39合の高波動米。
稲藁で火を起こし、藁が親として子である米を炊き上げる「親子炊き」の手法により、皆に振る舞われたその米は、生命の継承そのものを象徴するものであった。
「同じ釜の飯を食する」
「同じ釜の飯を食する」という行為は、極めて全体性と調和に満ちている。
それは腸内細菌の調整を促し、波動共鳴を起こし、人々の意識をひとつにつなげる感覚をもたらす。記憶の奥底に眠る「かつては一つであった」という源の感覚を呼び覚まし、平和の原型とはまさに“同じ釜の飯を共にすること”にあると実感させられる瞬間であった。
列を成して椀を手に並ぶ人々にご飯を配る光景は、喜びと豊かさに満ち、食を通して心が一つに結ばれる瞬間であり、現代の社会情勢との対比でもある。

政府が備蓄米を放出し、数年前の古米が「古古米」として安価に流通する米不足の時代にあって、我々は自然栽培で育てられた昨年の新米を用い、同じ釜の飯を共に食した。社会とのギャップがありながらも、それを微塵も感じさせない「愛と調和に満ちた空間」が田んぼに広がっていたのである。
この式典は、皆の奉仕と志によって成り立ち、記憶に深く刻まれる一頁となった。そしてその一頁一頁が体験の証として魂に刻まれ、「自分は何のために地球に来たのか」「地球に何を残すのか」という問いをあらためて呼び起こす契機となる。
稲作という営みを通じて大地と繋がり、地球と繋がり、そこから人類の意識が繋がっていく。今日一堂に会した地球家族の一人ひとりが、新たなご縁の中でまたひとつ加わり、共同創造が始まったことは大きな喜びである。
同じ釜の飯を食べ、けんちん汁を味わい、自らのお弁当を持参し、田んぼの前で食事を楽しむ人々の姿には、神々様や祖先の喜びが重なって感じられる、本当にありがたいお導きである。
ありがとう。





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