
第3回 草取り祭
第3回草取り祭も無事に開催できたこと、誠にありがたく思う。
田植えから約1ヶ月間、日々草取りを続けてきた中で、今回第3回目となる御神田の草取りを皆で行う機会を設け、共に手で植えた場所を丁寧に整える尊い時間となった。
草取りの意味と学び
毎週ごとに大きく成長する苗たちや草たちの様子を観察しながら田んぼに入り、身体と精神の両面を安らがせ、深いリラックスを得る場となる。
人間は本来「どのように在ることが最善なのか、自分とは何者なのか」という問いは、自然との対話、さらには内なる声との対話から生まれる。その問いを通じて、自分はどう生きたいのか、何を味わっていきたいのかが次第に明確になっていくのである。
田んぼでの出会いやご縁は常に多くの学びを与えてくれる。そうした学びを人生に活かしながら、共に体験をした人々と人生を共同創造していく時間は、極めて尊いものだ。

限られた一ヶ月の奇跡
一年十二ヶ月のうち、田んぼに入れるのはわずか一ヶ月に過ぎない。この一ヶ月間に田んぼに入れる人が、地球全体の人口の中でどれほどいるのかを考えると、田んぼに入れること自体が奇跡的な導きである。
農業との出会いや地球との縁がなければ、この体験を得ることは叶わない。特に大人になると、こうした体験を味わう機会はさらに稀だろう。(裸足で田んぼに入るわけなのだから笑)
真夏の厳しい日差しの中でも田んぼに入れることの喜びを感じられるのは、限られた季節の中だからであり、田植えから1ヶ月間という期間限定の貴重な時間だからこそ、草取りもまたかけがえのない営みとなる。
草取り祭の力と循環
毎週のように足を運んでくださる皆様のおかげで、草取りを無事に進めることができていることも誠にありがたい。苗の成長には草との共存が不可欠であり、定期的に田んぼに入ることで、草と苗のバランスを見極めつつ成長を見届けられ、毎週入るからこそ日々の変化に気づき、さらなる学びを得られるのも草取り祭の良さである。
この一ヶ月の間にも、多くの出来事があった。早朝から訪れる人もいれば、誕生日を御神田で迎える人もいた。セブ島から帰国し、これからバンクーバーへ留学するという方とも出会った。これらの出来事は偶然ではなく、必然の導きであり深い意味を持つ。
バンクーバーに引っ越した自らの経験を通して語り合えたことも貴重な時間であった。同じような経験や境遇の人々が自然と集まり、互いに共鳴しながら、地球環境やそれぞれの生き方に応じた共同創造が生まれていく。これこそが田んぼというフィールドが繋ぐご縁であり、三次元でしか味わえない学びと創造の時間である。
今この瞬間を味わう
一歩ずつ丁寧に歩みを進め、やがて実りある米が育っていく。そこに至るまでの全ての過程を大切に積み重ね、できる限りのことを尽くしていけば、必ずや結果は伴うものである。
どれだけ収穫できるかを考えるよりも、今この時期にやれることをやり尽くすことが大切る。収穫量も確かに重要だが、それ以上に「今この瞬間」を存分に味わうことこそが最も重要であると気づかされている、草取りの日々なのだ。



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